ウラシマさん日記

2番目の子を産んでから10年ぶりの赤ちゃん、また一からやり直しかぁ!と思いつつ昔とは状況の違いを楽しんでいます。

高齢出産による不安や上の子2人の問題などもありつつ、前向きに頑張ります。

問い合わせ。

昨日より増して寒いですね、指先がかじかみます((+_+))。



この地域で一番だと思われる医療センターへ問い合わせてみました。


しかし!
「初期の妊婦さんを受け付けていないんですよ。」
とのまさかの返答(◎_◎;) とりあえず話を聞いてみると


「オープンシステムと言いまして、提携している産院に通って頂いて
 出産のときにこちらへ来て頂くシステムでして・・etc.」


「提携している病院てどこにあるんですか?私引っ越ししてきたばかりでちょっと分からないんで」


「どちらにお住まいですか? 〇〇町?・・ちょっとお待ち下さい
 ・・お近くには〇〇医院と〇△医院がありますよ、連絡先お伝えしましょうか?」


「大丈夫です、ネットで調べてみます。」


「そうですか、ではお待ちしておりますね。」


対応して下さった方の対応が丁寧で物腰柔らかくて、好印象!
最初からここに通いたかったなぁ。


とりあえず、教えて頂いた病院に予約の電話をいれてみました。

病院の話。

今日は小学校が6時間授業なので、ゆっくり出来ます♪


健診にて妊娠が発覚し、まず病院探しを始めました。
引っ越ししてきて約一年。小児科はともかく、自分が風邪をひいた際に行く内科すら
どこにあるのか分からないような状況でしたので、とりあえずネットで。


上の子達の時は里帰り出産をしました。
でもその時はまだ未就学児、今は学校があります。
その時点で、里帰り出産の選択は無くなりました。


そして今回はハイリスク出産。
やはり、万が一を考えて設備が整っている病院を選ぼうと思いました。


でも、HPで紹介されている綺麗な入院施設やマタニティヨガ・マタニティビクスを
開催している病院にも憧れが。昔、楽しかったのよね・・(*´▽`*)


それとこれは年代とか関係なく、ただの地域差なんでしょうが
前に住んでいた所は保健所にて、妊婦さんの交流会があったり
両親教室があったり色々イベントがあって妊婦生活が楽しかった思い出があるんですが、

今住んでいる地域は(申し訳ないが田舎なので)そもそも保健所が無い。


似たような施設はあるんですが、産まれてから赤ちゃんの交流会はあっても
妊婦さんの交流が無い。その手の事は各病院で開催されているみたいなんですが
やっぱり病院によって差が結構あるように思えました。


妊婦の時に仲良くなったママさん達は出産時期も近かったので
産まれてからも、遊んだり子育ての悩み相談とか色々出来て楽しかったなぁ。
それが出来ないのがちょっと寂しいです。


・・・でも今参加しても周りの若いママさん達から浮いちゃうか(^▽^;)
いつまでも若いつもりでいたらイカンのう。


それよりも安全第一!
とりあえず、この地域で一番設備が整っている医療センターに問い合わせてみました。


妊娠発覚の話。

今日は昨日とうって変わって寒いですね(>_<)、腰とおなかにカイロを仕込んでいます。


今回妊娠が発覚したのは検査薬などでは無く、市民病院で子宮がん検診を受けた時でした。
健診前に書類で最後に来た生理の日付を書く項目があるんですが
そういえば一か月くらい来てないと思ったけれど
ただ、その前の生理が普段30日周期の所24日くらいで来たので
調整してるのか、それとも閉経が近いのかしらとか。


でも下腹部痛があったので、もう生理が来そうだな程度に思ってました。
一応、病院の先生に生理が来てない話をして、いざ内診


「・・・卵がありますね。」
「・・・はぁ。。。」
「ここの病院では受け付けていないので、1、2週間後に産婦人科へ行って下さい。」
「・・・はぁ。。。」


まさかのまさかでした。
30代だった時、3人目は望んでいました。
でも5年くらい頑張ってみたけれど出来ませんでした。
でも2人も子どもがいるし、不妊治療をするまでも無いと思いしませんでした。
40才になり、ああ、自分は不妊症および不育症なのかなと
勝手に思い込み、避妊もせずにいました。


去年引っ越しをし、今まで多忙だった仕事も辞め、家で隠居みたいな生活をしていたのが
影響したのか、それともここの地域は子沢山な地域なのでその水が合ったのか・・・。


でも30代のうちはまだ良かったけど、40代の妊娠という事に色々な不安がよぎりました。
病院へ行ったその日のうちにはパパには話せず、気が付いたらネットで色々調べました。
・・でもだんだん具合が悪くなってきたのでやめました。
あれこれ悩んでも仕方がない、取り合えず自分の出来る事をしようと考え直しました。


後日パパに話をしたら、喜んでくれました。
「きっと子ども達にも良い影響になるよ。」
それは私も思っていました。きっと何とかなると。